ずっと逢いたくて探し続けている人とは、夢の中でしか顔を見れない。
見る度に情景と感情が少しずつ鮮明になる夢に、子供の頃からずっと現実が侵され続けていた。



Malachite





兵士として戦い抜いた前世の記憶を抱えたまま生まれ変わったペトラは、幼い頃から夢という形でそれを取り戻しながら成長した。その記憶の中で上司であり想い人だったリヴァイ兵士長と再開する事をひたすらに望んで。
それなのに出逢えないまま年月を重ね続けた。


大学生にもなれば保健室を必要とする学生は少ない。
病気になったとしても大学に来ない事が殆どだし、悪化する前に帰る。
怪我の治療か、鎮痛剤を貰いにくる学生くらいしか来訪者の来ない保健室ののんびりとした空間で過ごすのがペトラは好きだった。
養護教諭のナナバ先生は、前世でのペトラにとってあこがれの先輩だった。
大学に入学後に改めて知り合った落ち着きのある物静かで頼りがいのある彼女には、色々な意味で救われていた。

ナナバ以外にも、この大学にはエルヴィン理事長、理学部化学科の教授のミケ先生、理学部生物学科の変人教授として有名なハンジ先生まで揃っている。全てあの頃のペトラの直属ではないが上司だった人達だ。
他にも、他兵団に所属していた兵士だった講師や同級生もいる。
それなのに、ペトラが一番逢いたいと望んでいる相手だけが学内にいない。
楽しげに笑い合う教授達を見る度に、ここに居ない彼を思い出して胸が締め付けられていた。
彼らに記憶の事を確かめたくても、ペトラは聞けなかった。
この記憶はただの自分の夢だと否定されてしまったら、きっと立ち直れない。
記憶と日常の差異に折り合いを付けられないまま、入学してから一年以上が経過していた。


ナナバ先生の勤務は昨日までだったんだ。
通い慣れたひっそりと静まり返った学内の片隅にある保健室に入ったペトラは新しい養護教諭がまた赴任してない事に安堵し、ドアに背を向けてソファに腰を下ろしてぱたっと転がった。革張りのソファは少しひんやりとしていて、直接触れたペトラの手と頬から熱を奪う。

平和な世界で未来を望みながら生きていられるのは、とても贅沢な事だと知っている。あの頃の記憶があるからこそ、安寧の日々に感謝もしている。楽しい事だってたくさんあった。家族や友人と過ごす時に浮かぶ笑顔は嘘じゃない。
だけど、ふとした瞬間に頭をよぎるのは、いつだって彼の事ばかり。

リヴァイ兵長に逢いたい。
ペトラの中で一番強く尊い願いは、いつになったら叶うのだろう。
夢でなら、また逢える。
そこがどんなに残酷な世界でも、起きてから胸が引き裂かれそうな程切なく苦しくなるって知ってても、夢での邂逅を望んでしまう。
彼を深く強く想いながらペトラはゆっくりと瞼を閉じた。



「この前の壁外調査で負った傷、綺麗に消えたな」
ベッドサイドで揺れるランプの炎が消える前にペトラの全てを確かめるようにリヴァイの手が輪郭を辿り、柔らかな肌に吸い付き痕を残す。
心臓以外の全てを捧げている彼は、ペトラ自身よりもペトラを知り尽くしている。
それなのにもっと知りたいと望まれ、その夜も全てを暴かれた。

甘く濃厚な一時を過ごした後の会話は断片的にしか思いだせない。
視界は薄暗く互いがどんな表情をしていたのかも分からない。
その時のペトラは彼の胸に強く抱き寄せられていた。

「お前は俺が死んだら、俺を忘れて幸せになるのか」
「そんなの、無理です。できっこない」
「自分が出来ねぇ事を俺に求めんな。俺は絶対にお前を忘れない。だからお前も俺を忘れるな。例え命が尽きようとだ」



夢の中で過去を辿るペトラは、望んでいたのとは違う答えを告げられ歓喜しながらも酷く胸が痛んだ事は覚えている。いなくなった後では私という重荷を忘れて欲しくて口にした言葉だったのに。
絶対に死なないなんて、傍を離れないなんて、どんなに願っていてもそれが奪われるのは一瞬だと、世界は残酷だって思い知っていた。だから私的な未来については互いに一度も口にした事がない。
最初で最後の約束が別離後の事だったなんて、未来の見えない調査兵団の兵士らしいといえばらしかったかもしれない。
私は彼に頷いた通りに、志半ばで生を終えても忘れなかった。残酷な世界でも幸せだった日々を。
リヴァイ、兵長。

耐えきれずに零れた涙が伝う頬に優しく触れる何かに、ペトラはまどろみから浮上する。
「……?」
ぼんやりとした意識を手繰り寄せて目を開けると、さっきまで夢の中で寄り添っていた彼の顔が瞳に映り込む。

夢から覚めてもまた夢なんて。
切なくて苦しくて嗚咽が洩れてしまう。
「夢だけじゃ嫌。兵長に逢いたい、本物の兵長に触れたいです」
ぽろぽろと涙を零しながら願いをぶつけるペトラは、半身を起こしても彼に向かって自分から手を伸ばせない。だって、きっとその手は何も掴めないだろうから。

「……夢じゃねぇ」
どれだけ信頼している相手でも、その言葉だけは素直に受け取れない。都合の良い夢を信じてまた夢だったら立ち直れない。
拭えない不安に振り回されていると、また確かな感触が触れて涙を拭ってくれると、夢とは思えない懐かしい温かさと仕草に心が揺れる。

「やっと逢えたな、ペトラ」
落ち着きのある声は懐かしく耳に響いて。
「……夢、じゃないの? 本当に本当の兵長?」
「嘘の俺がいるなら今すぐここに連れてきやがれ」
その口調。ああ、兵長だ…… リヴァイ兵長だ。
「私の事、覚えててくれたんですね」
「忘れる訳ないだろ。……お前こんなとこにいたんだな。散々待たせやがって」
私の髪に指を差し入れ掻き乱してる兵長はきっちりとしたスーツ姿で、今の私よりも確実に年上だ。ひょっとしたら十歳くらい離れているかもしれない。だとしたら、私よりもずっと長く――
「私、もっと早く生まれてれば良かったです。待たせてしまってごめんなさい」
「俺こそ探し出すのが遅れちまった。すまない」
やっと逢えたのに互いに謝ってる。変なの。
「逢えたから、いいです」
「……だな」
目を細めた彼の両手が私の頬を包んで額を突き合わせた。
確かな彼の存在も告げられた言葉も再会できた事も、全てがペトラの涙腺を刺激して涙が止まらない。
「湿っぽい面してんじゃねぇよ」
彼の口調はぶっきらぼうだけど私の涙を拭う手付きはどこまでも細やかで。
「泣き顔はもういいから、笑った顔を見せろ」
リヴァイのその願いを叶える為に、ペトラは心の底からの笑顔を浮かべた。

やっと、逢えた――
嬉しさで占められていた頭に、でもどうしてここに兵長が? と疑問が湧く。
何から聞こうと思案しながら笑みを緩めて彼をじっと見つめていると、どんどん距離が縮められてゼロになった。

再開して初めて交わしたキスは、涙の味がした。
予想外の行為にペトラは狼狽してソファに背を押し付けるように仰け反った。
「なっ、何するんですか、突然」
「初めてでもあるまいし騒ぐな」
兵長は煩そうに顔を顰めるけど。
「初めてです、今の私にとっては」
覚えている記憶の中では何度もしてたけど、でもでも。兵長ってば女心を分かってないです。真っ赤に顔が上気してるのが自分で分かる。
「……もう一度してもいいか?」
自分を引き寄せる彼の腕の温もりが心地好くて、返事の代わりにペトラはゆっくりと目を閉じた。

触れるだけのそれが終わったと思ったら次は強く押し付けられ、呼吸を許されたと思ったらまたすぐに奪われ、漸く解放された頃のペトラの瞳は甘さに酔って潤んでいて、彼の顔が滲んで見える。
「一度って言ったのに」
彼を咎めた濡れた唇は、また塞がれた。

「あの、今更ですけど兵長はどうしてここに?」
リヴァイの腕の中で深く貪られた余韻に浸りながら問えば、簡潔な返答を寄越される。
「産休代理だ」
「ナナバ先生の代理の養護教諭って、兵長だったんですか?」
「俺はもう兵長じゃねぇぞ」
「……ナナバ先生の代理ってことは、リヴァイ先生?」
自分で口にした言葉だけど、違和感がありすぎる。兵長が先生って。今の兵長は、ナナバ先生や理事長と知り合いなのかな。
「さっさと出てきやがれと思っていたんだが……見つけたのが今のお前で良かったのかもな」
「?」
ずっと逢いたかったのになんでそんな事言うんだろうって思ってたら、それが顔に出てたのか兵長は答えをくれる。
「俺はとっくの昔に成人している社会人だぞ。そんな奴が中学生や高校生のお前に手ぇ出したら犯罪者になっちまってただろ」
眉を顰める表情が懐かしくて思わず笑うと、また兵ちょ…リヴァイ先生の顔が近づいてきた。再会してまだ十分も経ってないのに、何度唇を重ねるんだろう。
色々と聞きたい事、聞いて欲しい事がたくさんあります。だからキスはこれで終わりです。
心の中で告げたけれど、終わりにできるかは自分でも自信が持てないまま私は彼に応えた。


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