11月22日


つい先月私の部署に赴任してきたリヴァイ部長は謎な人だった。

データ管理は大事だけどそこまで重要視はされていない。そんな部署に異動になったからには有能じゃない人材かと最初は思ってたけど、噂ではエルヴィン社長の右腕と言われている人らしい。
部長の背は男性にしてはあまり高くなく、顔立ちは整っている方だけど目付きは鋭く口調はぶっきらぼうで、実は私は最初は苦手だった。
今まであまり関わり合いになったことの無いタイプだったし、前の彼氏が感情がすぐ顔と態度に出る分かりやすい人だったからかもしれない。
分かりやすいだけに、私に対する感情が減るのもすぐに分かって仲が冷え出してから別れるまではあっと言う間だったけれども。

新しい上司は愛想はないけど指示と処理は的確で、部下である私達はきっちりと定時で帰れる日々が続いていた。
以前より仕事がしやすくなったと部長の評判は同僚達の間でも高かった。あれで愛想があれば…が部長の話を締めくくる言葉になってたけど。

そんなある日時間がなくて、他の部署の友達が待ってる食堂に行かずに自分の机でお弁当を食べようとお茶を用意してる時に、部長がお弁当箱を洗っていた時には驚いた。
お弁当持参な事もそうだけど、食べ終わった容器を洗うなんて。
部長の左手薬指に光る指輪は何度も見てた筈なのに、はっきりと意識したのはその時が最初だった。
部長がお弁当箱を鞄にしまってからスマホを操作している時の顔がとても穏やかで、奥さんにメールかラインで連絡してるのかな?って思った。

意外な一面を見てしまってから部長に対する苦手意識は少し減って、逆に興味が湧いた。
食堂に行く前に、お弁当を持ってきているのかのチェックを毎日していた。
まさか部下に毎日弁当を持ってきてるかの観察をされてるなんて思って無い部長は、私の視線を単に機嫌を伺ってるだけと思っていたに違いない。

新しい上司に慣れて少しが緩んだ頃、ちょっとしたミスでデータを飛ばしてしまった時は、かなりきつく叱られた。責任は一人で取りますと思わず言ってしまったが、期限の次の日の朝まで一人で出来る量じゃないのは薄々分かっていた。
「自分で言った事には責任を取れよ」
暗に周囲から私への手助けを制止する言葉に、私に同情していた同僚の顔が青褪めた。

昼休憩も返上でデータを必死に打ち込んでいると、さっきまでお弁当を食べていた部長が私の机の上にカロリーメイトと缶コーヒーを置いた。
「何も食ってねぇだろ。空腹は判断能力を鈍らせるだけだ、食え」
「ありがとうございます。お幾らですか?」
「金はいらねぇ。ペト……俺の妻が勝手に鞄に入れてたヤツだ」
奥さんの事を思い出したのか、部長の表情が少し緩んだ。
部長の為に用意されてたプレーン味のカロリーメイトを齧り、常温の苦い味のブラックコーヒーを飲みながら必死で指を動かしていると、私の机からファイルが一冊取り上げられた。
「ちょっと、それまだ……」
怒りながらの声は、ファイルを手にしているのが部長だと気が付いて凍りついた。
何も言わずに自分の机に持ち帰った部長がキーボードを叩きだす。ひょっとして手伝ってくれている? 少し茫然としていたら、じろりと睨まれたので私の意識はすぐに引き戻された。私の失敗の尻拭いを上司に手伝わせている自分の不甲斐無さを責める前に、さっさと処理を終わらせる方が先だ。
それまで以上に集中してパソコンに向き合った。

「帰るのが遅くなる、悪いな。ん?待たなくていい。先に飯食って寝てろ」
定時後に給湯室に入ろうとした私の耳が部長の声を拾った。
ああ、奥さんに電話してるんだ。今まで聞いた事の無い優しい声音で話している。部長の奥さんってどんな人なんだろう。
毎日お弁当を作って、スーツもシャツも皺ひとつなく整えられてるし、靴だってピカピカだ。仕事のできる大人な人じゃないと、あの部長とやっていけなさそう。
潔癖だし細かいし口は悪いし、でも部下思いで優しい所もある人だと思う。
奥さんの前ではどんな姿を見せるんだろう。
考えたけど、想像が全然できなかった。

完全に太陽が沈んで窓の外は真っ暗になっても、室内に残る私と部長が叩くキーボードの音は鳴り止まなかった。
ちょっと集中力が乱れてきたかもしれない。間違いがないかチェックをしていた時に関連の研究施設のハンジ所長が相変わらずよれよれの白衣を羽織った姿で現れた。資料を借りに来たのかな。
「あれ、まだリヴァイ残ってたの? 今日ペトラの誕生日でしょ? 早く帰らないと愛しの奥さまが拗ねちゃうよ〜」
「アイツはそんな事で拗ねるような女じゃねぇよ」
「惚気てくれちゃって」
「事実を言ったまでだ」
「だからそれが惚気なんだって」
呆れたようなハンジ所長は、部長の奥さんを知ってるんだ。部長と仲良さそうだもんね。
って今日が奥さんの誕生日? なのに私は部長を残業させてしまった?
少しでも早く終わらせよう。私は改めて決意した。

勝手にごそごそと資料を漁りだした所長は、チェックを終えた私が叩くキーボードの音でこちらに気が付いて、獣のような声を出した。ちょっと野性的な人だ。
「うおぉービビった。リヴァイってばこんな日のこんな時間に女性の部下と二人っきりで残業とか、ペトラに言っちゃおっかな〜」
楽し気な所長に向かって、ずっと動かし続けていた手を止めた部長が低い声を出した。
「殺すぞ」
「何マジになってんのさ。言うわけないじゃん。単なる仕事でしょ」
けらけらと笑うハンジ所長は鋭い目つきが更に凶悪になってるリヴァイ部長が怖くないのだろうか。さすが陰で変人所長と言われてるだけの凄い人だ。あれで有能なんだから人って見た目じゃ分からないものだ。

全てのデータの再入力が完了したのはもう夜の九時を過ぎていた。私は部長に向かって頭を上げれずにいた。
「申し訳ありませんでした。奥さまの誕生日だったのに」
「謝罪はもう聞いた。妻の誕生日は単なる俺のプライベートで仕事には関係ない。同じミスを二度と繰り返すさなければいいだけだ。じゃあな、気をつけて帰れよ」
会社の前で別れた部長の姿を目で追っていたら、急に立ち止ってスマホを取り出した。ああ、あの顔は奥さんに関する時の顔だ。目を細めてる。あの部長にあんな顔をさせる奥さんが少し羨ましい。
私もまた誰かの特別になれる日が来るのかな。一人暮らしで誰もいない自分の部屋へと帰る私の足取りは重かった。

同じミスは二度と繰り返さない。当たり前の事だけど、私はそのように行動するように日々心がけていた。
そんなある日、書類を他部署に届けた後で華奢で可愛らしい雰囲気の女性を目にした。
首から来客用のIDカードを下げているその人は封筒を抱えている。取引先関係の方かな?
ヒールの無いパンプスを履いて身長は部長と同じくらい? 肩の上くらいで切りそろえられている髪は光を浴びた蜜のような綺麗な色で、触り心地が良さそう。可愛いって言葉が良く似合う人だな。
左薬指には指環をしているから既婚者なのは間違いないだろうけど、そうは見えない。
困っているように見受けられたから、声を掛けてみた。
「あの、失礼ですがどのようなご用件でしょうか?」
ちょっと驚いたように目を見開いた彼女は、躊躇いながら口を開いた。
「しゅ、主人の忘れ物を届けに来たんです」
少し顔を赤くして主人って言葉を言い慣れてなさそうだから、新婚さんなのかな。うーん可愛い。どこの部署の誰の奥さんだろうって思ってたら。

「ペトラ!」
「あ、リヴァイさん」
ぱぁっと笑顔を浮かべた彼女が部長に駆け寄っていく。まさか部長の奥さん?
驚く私の前で二人が会話を交わす。
「これ、お届けに来ました」
「悪かったな」
「いいえ」
彼女以外は目に入っていない様子の部長は封筒を受け取って、ここは廊下なのに柔らかそうな頬に軽くキスをした。それはまるで映画のワンシーンを切り取ったような光景だった。

「お仕事の続き頑張ってくださいね」
「もう帰るのか? なら下まで送る」
「大丈夫ですよ。もうすぐ会議の始まる時間ですよね?」
「……そこまで送る」

部長って過保護? それとも少しでも一緒にいたい? まさか両方?
ちょっとじゃなくてかなり驚きながら二人を見ていたら、奥さんが私に笑いかけてきた。
「さっきこの方に声を掛けていただいたんです」
「そうか、妻が世話になったな」
まだ何もお世話なんてしてないのにって思ってたら部長の奥さんはきょとんとした後頬を染めて俯いた。
「どうした。顔が赤いぞ」
「リヴァイさんが私の事、妻って言うから」
「何言ってんだ今更」
呆れたような声を出してるけど、部長の目は優しい光を帯びてるような気がした。そりゃこんな可愛い奥さんを前にしたら、誰だってそうなっちゃうよね。私だって微笑ましい気分になっちゃう。

なんとなく別れ難くて私までエレベーター前まで奥さんを見送った後で、部長に話しかけた。仕事関係以外の事を部長に向かって口にするのは初めてかもしれない。
「部長の奥さんって若くて可愛いですね」
「ん、ああ」
部長は照れもせずにしれっと言い切った。そこは普通形だけでも否定するのでは、と思うが突っ込めない。
「奥さんの事大事にされてるんですね」
「は? 普通だろ」
全然普通じゃないと思う私はおかしくない筈だ。たぶん。

「私もいつか、部長みたいな奥さんを大事にしてくれる人と家庭を持ちたいです」
私的には褒め言葉だと思ったのに、部長は眉間に皺を寄せた。照れているのとは違う反応に私は戸惑うしかできなかった。
「相手に望む前に、自分が大事にしたいと思う奴を探せ」
そう言って部長は会議室へと速足で向かった。

自分へと向けられた部長の言葉に、私は自分の事しか考えてなかった事に気づかされた。
今までの恋では、相手に要求をすることばかりだった。自分を優先して欲しくてそれが満たされないと不満になって。なんて幼稚だったんだろう。

今度は互いを大切にしたいされたいと思える人と優しい関係を築きたい。
その日から私の中で部長と奥さんが憧れの夫婦像になった。


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