満月に照らされて


まだ十五歳だからな。
エルドは訓練兵団を卒業したばかりの、巨人化能力者のエレン・イェーガーを見てそう思った。

リヴァイとペトラの逢瀬を目撃し、未だに頬の火照りの収まらないエレンが、芋の皮剥きの手伝いを申し出てくれた。
男女の事に関しては初心らしい後輩が、リヴァイ班の中では姉のように優しく導いてくれているペトラに一番懐いているのはなんとなく感じていた。
面倒見良いからな、ペトラは。
エレンを気に掛けるように命じたのはリヴァイだったが、実際にその状況になったらなったであまり快く思ってなさそうだと、エルドは思っていた。
ひょっとして、兵長はエレンにわざと見せつけたのか?
いや、兵長は大人だ。そんな事をする訳がない。俺も偶然見かけただけだったしな。


エルドがリヴァイとペトラの関係を知ったのは、この古城に来てリヴァイ班の面々とエレンが馴染んできた頃だった。
新兵一人だけで慣れない環境でもペトラが良く構うおかげで、エレンは班員と自然に語らい日常生活を送れていた。

今夜は満月か。
普段なら夜の帳に隠されている秘密も、明るく照らしてしまうかもしれないな。
厨房で喉の渇きを癒し部屋に戻る為に廊下を歩いていたエルドは柄にもなく、そんな事を思った。

「何だ?」
微かに届く声に、開け放たれていた廊下の窓から外に視線をやれば、井戸の傍で壁に背を預けた誰かに覆い被さる人物の後ろ姿が覆う雲の隙間から覗く月明かりに浮かび上がる。
それはどう見ても男女の密やかな逢瀬にしか見えない。
今日は確かハンジ班の連中も逗留しているんだよな。そいつらか?
普段と違う場所で、情熱が抑えきれなくなったのか。
やれやれと苦笑しそうになった時、満月を半ば隠していた雲が去り、黒髪と蜜色の髪の対比が際立つ二人が密着している光景を露わに照らし出した。

あれは、まさか。

今ここに滞在している小柄で明るい髪の人間はペトラだけだ。そしてペトラが大人しく身を委ねる相手は、我らがリヴァイ兵士長に限るだろう。冷静に観察すれば、黒髪の持ち主の体躯は小柄で、兵長に間違いない。
月光によって露わになった秘密――口づけを交わす二人が誰か――を理解した時には、エルドは驚きながらも安堵して息を大きく吐いた。

ペトラがリヴァイへと向ける想いは、エルドは知っていた。
本人に確かめなくとも、あれだけ熱の籠ったひたむきな眼差しを見れば、一目瞭然だった。
リヴァイの方は、想いを受け取る事も退ける事もせずに有能な部下を傍に置いているだけかと思っていたが、それは違ったらしい。
――ずっと抱いていた想いが通じて良かったな、ペトラ。
心の底からそう思った。
しかし何時からなんだ、全然気がつかなかったな。
エルドは尊敬する上司と妹分な同僚の艶事をこれ以上覗くような野暮な真似はせず、自室へと戻る為そっと窓から離れた。



先日の事を思い出している間に、芋の皮剥きは終わった。
「そろそろ午後の休憩時間だ。皮剥きも終わったし、食堂に行くか」
さすがにもう兵長とペトラも戻って来るだろう。
二人を見てエレンが挙動不審にならなければいいが。
芋の入った籠をエレンが一人で持とうとするのを制し、片方ずつ二人で持つ。
「手伝ってくれて助かったよ」
礼を言うとエレンが照れたように笑う。こうしていると、本当に普通の少年にしか見えない。
エルドは巨人に立ち向かう仲間である後輩に、これから先は刃を向ける事がないことを願った。





リヴァイは苛ついていた。
今夜は俺の部屋に来いと言ったのに、ペトラが来ない。
ペトラの部屋に行っても留守で、食堂にも厨房にもいない。
まさかありえないとは思うが、他の奴らの部屋にでも連れ込まれたのかと、他の班員やハンジの班の奴らの部屋の前を通りがかったが、やはりそんな兆候もなく。
苛々しながら明かりも持たず、忌々しいくらい明るい満月の光だけを頼りに城内をうろつくがペトラの姿も気配も何処にも感じられない。
入れ違いかと自室に戻っても、室内は静まり返って誰もおらず。再度廊下に出てペトラを探しに歩きだす。

いい加減、苛立ちも頂点に達しそうになった時、通りかかった窓の外に明かりが見えた。
見下ろすと、井戸の傍に探していたペトラが居た。
だが、ペトラは一人ではなくエレンと一緒だった。
あんな場所に、頼りないランプの灯と、何時翳るか分からない月明かりしかない場所でガキでも男なエレンと二人でいるとは、ペトラの奴何考えてやがる。

耳を澄ませば、屋外だからか声を抑えていない二人の会話を風が運んでくる。
「熱湯が手にかかったんだよ? まだ冷やしてないと駄目。新しい水に替えたから、冷たいでしょ」
「すみません。でももう大丈夫ですよ。痛みも引きましたし、俺はすぐに怪我が治るのペトラさんも知っているでしょう?」
「そうだけど、でも」
エレンの手首を掴んで、桶に手を突っ込ませているペトラは心配そうな声を出している。エレンの奴は火傷でもしたのか。
そういえば、さっき覗いた厨房はポットとかが出っぱなしで片付いていなかったな。普段なら気になるが、ペトラの方に意識が向かっていてたいして気に留めていなかった。

リヴァイは窓から飛び降りそうになる自身を抑え、井戸に向かう最短のルートを頭で思い浮かべ速足で辿る。
井戸に着くと、エレンはもういなかったがペトラは桶の中の水を、元は栽培されてたのだろうが、放置されているうちに勝手に繁殖しているハーブにかけていた。
周囲を確認すれば、ランプの明かりが遠ざかりながら揺らめいている。つまり、エレンにランプを渡したのか。
ペトラには自分の性別をもっと自覚しろと言ってやりたい。
「オイ」
「ひゃっ」
声を掛けるとペトラは驚いて身を竦ませ壁際まで飛び退いた。兵士ならもっと周囲を警戒しとけ。
「兵長……」
振り返って俺を認め、肩から力を抜くペトラが緩く笑いかけてくる。
「さっきですね、エレンが火傷して…」
それ以上聞く気は無く、壁にペトラを追い詰め逃げられないように両手で檻のように囲う。
ペトラからは、風呂に入った後だからか石鹸の香りがする。
戸惑うペトラの瞳に映るのは俺だけだが、心を占めるのも俺だけでいい。
「お前、最近エレンエレンうるせぇんだよ」
「そんなっ。エレンの面倒を見ろ、って言ったの兵長じゃありませんか」
確かにそう言ったのは俺だが。
「他の奴に構いすぎるお前を見てると、腹が立っちまうんだよ」
吐き捨てるように本音を告げると、ペトラがぷっと吹き出す。
何がおかしいんだ、くそっ。
「兵長、ひょっとして……」
その先を聞きたくない俺が強引に唇を重ねると、すぐにペトラが唇を開き俺を迎え入れる。
歯列をなぞり、舌を絡めて濃厚な口づけを交わしペトラの吐息すら奪う。
こんな風にペトラに触れていいのは俺だけだ。
ペトラを散々貪り、漸く満足したリヴァイは力の抜けた体を支えてやる。

どうにかペトラが一人で立てるまで落ち着いた頃、リヴァイは口を開く。
「……このまま、俺の部屋に来るか?」
命令ではなく問いかけだが、是以外の返事は求めていない。
じっと見つめると、ペトラがぎこちなく頷きそのまま顔を伏せる。
言葉も無く頷くだけで必死なペトラの可憐さに、リヴァイの理性は陥落しかけるがなんとか踏み止まり、急き立てる欲を抑え、自室へと向かう為にペトラの手を取った。

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