幸せはどこまでも


「ママと赤ちゃん早く帰ってこないかな」
「退院は明日だ。それに毎日見に行ってるだろ」
妹が産まれてからというもの、何度も同じ事を繰り返して言う息子にリヴァイは毎回律儀に付き合う。
病院から家に戻る間にも、会話は一日の殆どを眠って過ごす妹についてばかりだ。妹が産まれたのが余程嬉しいらしい。ずっと待ち望んでいたから仕方がない事だが。

「赤ちゃん今日は起きてて、ぼくの手を握ってくれたんだよ。早く一緒に遊びたいな〜」
一緒に遊べるのはまだまだ先だろ。そう思うが、言わないでおいてやる。
「ねぇパパ、ぼくもあんなに小さかった?」
「ああ、小さくてふにゃふにゃで、抱く度に緊張したな」
初めてペトラから手渡されて自分の息子を抱いた時は、力加減が分からないまま身動き一つ出来ず、息すら顰めてその眠りを妨げないようにしていた。それがもうこんなに大きくなって、成長の速さに改めて気づく。
「チビは弟も欲しかったんじゃないのか?」
「弟? うーん。やっぱり妹だけでいい。だってぼく二人も抱っこできないし、病院でずっとママ痛くて苦しそうだったから。ぼくを産む時も、ママ痛かった?」
繋いだ手に力を入れて心配そうに見上げる息子に、そうだと告げるのは躊躇われリヴァイは曖昧な言葉で濁す。
「まあ、それなりには」
「それなりって?」
言葉の意味が分からず不思議そうに目を丸くするが、すぐに他の事に興味が移るのは子供だからか。不意に、思わぬ事を聞かれる。
「パパは、どうして妹が産まれた後、ママにありがとうって言ったの?」
見下ろせば、息子の澄んだ瞳は色が違うのにペトラと良く似ていて、ひたむきな視線を向けられると余計にそれが際立つ。

「よく頑張ったなペトラ。それと……ありがとう」
無事に産まれた娘をそっと胸に抱き、先程までの痛みを忘れ、喜びのまま嬉しそうに微笑むペトラの頬にキスをしながら告げた言葉を聞かれていたのか。

「どうして?」
「……娘を、新しい家族を産んでくれたからだ」
「そっか。僕もママにお礼言う」
今すぐに病院に引き返そうとする息子の腰を掴み、抱え上げるとジタバタと暴れる。この程度痛くもなんともないが、誘拐犯と間違えられても困る。
「明日でいいだろ」
「はーい……」
動きを止め、しょげて俯く様は茎が萎れた植物のようだ。植物なら水をやればいいが、コイツには……
「チビ、夜は何が食べたい」
「う? う〜んと、オムライス!」
「わかった」
「やったぁ」
食い物に釣られて機嫌が治るとは、ガキは単純でいいな。
冷蔵庫の中身を思い出すと、別に買い物の必要はなさそうだな。このまま帰るか。


スマートフォンで撮影された、娘を含めた家族が映った何枚もの写真を息子が飽きずに見ている間に、リヴァイは手早く夕食を作った。
テーブルに並べられた料理は二人分で、ペトラが座る場所の前には何も無い。
だが、二人だけの夕食も今晩で最後で、明日からはペトラも一緒に食卓を囲む。そこに居ないと知っているのに、つい名前を呼びそうになったり、姿を探してしまうのも今日までだ。

「パパのにケチャップかけてあげるね」
勝手に宣言した息子は、オムライスに謎の模様を描き得意気に胸を張るが、リヴァイの頭の中に疑問が浮かぶ。
なんだこれは?
「ママはいつも、パパのオムライスにこうしてるよね?」
ひょっとして、ハートマークのつもりか? 絵が下手なのは誰に似た。
「パパ、ぼくのにお魚描いて」
はい、とケチャップの容器を渡されて仕方なくリヴァイはオムライスの上に魚を描くべく手を動かす。
確かペトラは……と思い出しながらケチャップを絞り出し何とか完成させ、息子の前に皿を置く。
「これなあに? ママが描いてくれるのと違う」
チビの奴、何でオムライスを見て不思議そうに尋ねるんだ。魚に決まってんだろ。
「魚だ。ちょっとばかり失敗したが、味は変わらんから食えるだろ」
「……うん。いただきまーす。どっちが頭かな?」
怪訝そうにしながらスプーンを持つ息子の視線がオムライスばかりに行くので、リヴァイは一言添える。
「サラダも食えよ」
「うん」
息子は従順に頷き手を口を動かした。


「パパ、いつ病院行くの?」
朝を迎え、起床したチビにすぐに聞かれた。
「退院は午前だからな。片付けしたらすぐに出る」
「うん。パ、……おとうさん」
突然呼ばれ慣れない名称で呼ばれ、リヴァイの動きが止まる。
「何だいきなり」
「だって、おにいちゃんになったのに、ずっとパパの事パパって呼んでたら妹に笑われちゃうよ」
ここ数日で、そんな事を考えていたのか。
「呼び名なんぞで笑われたりしねぇから無理するな。俺の事もペトラの事も、呼びたいように呼べばいい」
「うん。おとうさん」
「……なんだ」
我が子の成長は喜ばしくも少し寂しいと感じるのも事実だが、新たな呼び名も悪くないと思うリヴァイの手を息子がはにかみながら小さな手でぎゅっと掴む。
「ママ、今日帰ってくるんだよね」
ほっとしたように話すチビは、ペトラが病院に入院してからずっと俺の傍を離れない。母親が不在で寂しかったのだろう。無理も無い。産まれてからずっと、ペトラが居ない状態など無かったのだから。




「もうすぐパパとお兄ちゃんが来るからね。今日は家族皆で一緒にお家に帰るのよ」
べビ―ベッドで眠る産まれたばかりの娘にペトラは囁く。
「あ、来たみたい」
気配を察したペトラは急いでベッドへ戻り、枕を背に座って二人を迎える準備をする。
リヴァイが病室にいる時にペトラがベッドから出ると、直ぐに抱き上げられシーツの上に戻されてしまう。何度も繰り返された行為にペトラは諦め、リヴァイが病室にいる時だけは大人しくする事にしていた。

部屋に入るなり、息子はいそいそと駆け寄りベビーベッドを覗き込む。
いいお兄ちゃんになってくれそう。早く一緒に遊べると良いね。
「ペトラ、体調はどうだ」
「大丈夫です」
毎日繰り返される遣り取りは彼が私を気遣ってくれている証だから、返事をする声音はいつも嬉しさに満ち溢れる。
「そういえば、さっきアルミンから誕生祝いのメールが来ました」
「あいつらには知らせてないんだが」
「リヴァイさんがずっと仕事休んでたら、気づきますよ」
「ちっ。我が家は暫く来客禁止だ。来ると言っても断れ。それでも押しかけて来るような奴は客じゃねぇ」
ゆっくりできるようにと、家族以外は入室禁止でセキュリティの厳しい産院を勧めてきた夫はとても心配性だ。
「落ち着いた頃、遊びに来てくれるそうですよ」
付き合いが長いだけあって、その辺りは言わないでも主に気の利くアルミンが汲んでくれるので助かってる。

「?」
ベッドに腰掛けたリヴァイさんが、つむじ辺りにキスをしてきた。息が掛かってくすぐったくて笑うと、強く抱きしめられた。
リヴァイさんの匂いに包まれ、ゆったりとした気分でいたら、顎を掴まれて唇を重ねられた。慌てて子供達に目を向ければ、息子は寝ている娘にしか興味が向いていなさそうだったので、大人しく受け入れる。
ずっと、触れるだけの軽いキスしかしてくれなかったリヴァイさんが、深く求めてるから拒めない。微かに唇を開けるとすぐに舌が割り入れられ絡められ、久々に交わす濃厚なキスにくらくらしてしまう。
「リ、ヴァ……」
ちょっと、長すぎないですか。私の言いたい事分かってるのに、言わせないように離れた唇をまたすぐに塞ぐリヴァイさんは意地悪だ。

キスが終わっても、リヴァイさんの胸の中。けど、息が乱れているのが自分だけなのは悔しい。
さっきまで私を翻弄してたのに、そんな事してませーん、みたいな顔しちゃって。
どう反撃しようか悩んでいると、リヴァイさんが突然腕を解いて立ち上がった。
それがちょっと寂しいと思ったなんて、絶対言わない。

「退院の手続きをしてくる」
リヴァイさんが出て行った後、着替えて軽く化粧をしてから荷物を纏めてカバンに仕舞っていると、躊躇いながら呼ばれた。
「マ……おかあさん」
私、今お母さんって呼ばれた? 突然どうしちゃったの?
「おかあさん。妹を産んでくれてありがとう」
息子からの思わぬ言葉の連続に、涙が出そうになった。入院してるから寂しい思いさせてるなって思ってたのに、日々成長してるんだ。だけど、嬉しいのに寂しいなんて、どうかしてるのかな。
「ありがとう」
ぎゅっと息子を抱きしめて様々な思いの籠った感謝の言葉を伝える。
私とリヴァイさんを両親に選んでくれて。
元気に産まれてくれて。
健やかに育ってくれて。
毎日幸せを与えてくれて。
リヴァイさんは、あなたが産まれて来てくれてから、穏やかな表情が増えたし、知らなかった面をもっと見せてくれて。
ありがとうを何度言っても足りないのは、私の方だ。

「? どうしておかあさんがお礼言うの?」
私がお母さんなら、リヴァイさんはお父さんね。その呼ばれ方も悪くない。ってリヴァイさんは言いそう。
思わずしてしまった想像に、ペトラの涙が引っ込んだ。




退院の手続きを全て済ませて病室に戻ると、ペトラの目が潤んでいた。
「何泣いてる、ペトラ」
「泣いてなんかないです」
何故隠す。それに勝手に荷物の片づけしやがって。大人しくしとけと何度言ったら分かるんだ。
「リヴァイさん。私、お母さんって呼ばれたんですよ」
チビを抱きしめながら嬉しそうな顔で得意気に話すペトラに、涙の理由が分かった。対抗するつもりはないが、一応俺も報告しておいてやる。
「俺はお父さんと呼ばれた」
「……お父さんって呼ばれるリヴァイさん見たかったな」
「これからいくらでも見れるし聞けるだろ」
きょとんとした後残念そうに呟くペトラにそう言ってやれば、一瞬泣きそうに顔を歪めたが、直ぐに微笑んだ。
「そうですね」

「帰るぞ」
ドアを開け、短く告げるとチビが俺の手を掴んできた。
「妹がいても、僕の事も抱っこしてくれる?」
「当たり前だろ」
「勿論よ」
声を揃えての返事にこくりと頷いた息子を肩車し、荷物を片手で持ったリヴァイは大事に娘を抱いて歩くペトラを傍でじっと見つめる。
愛しい者が増えても、愛情は分割されるのではなく増えるだけだと知ったのは、ペトラのおかげだ。
恋人から妻になり母親になっても、変わらず愛情を寄せてくれるペトラの笑顔に愛しさがまた募り、病院の廊下だというのに唇を重ねた。
「なっ…」
ペトラは顔を異常な程赤くしているが、それは怒りからではなく照れているからだ。俺の子を二人も産んだくせに、この反応。堪らないな。
「嫌だったのか」
「嫌とかじゃなくって、時と場合をですね……はぁ」
チビを肩に乗せている上に廊下だと弁えているからこそ、あの程度で済ませたんだ。
「仕方ないだろ、したくなったんだ」
もう、と膨れながらもペトラは本気で怒っている訳ではない。困った人だとでも思っているのだろう。

廊下を占拠していたからか、ペトラが世話になった女医に声を掛けられた。さっきのを見られていたのか、顔がニヤニヤしている。
「退院おめでとうございます。リヴァイさん家は仲良しで良いね。この調子じゃ、これからもっと家族が増えるんじゃないの」
無責任にケラケラ笑いやがって、なんつー下世話な医者だ。
「その際は、是非当産院をお選びください」
そんな事を言われても、チビも妹だけで良いと言ったし子供は二人でいい。これ以上ペトラを抱けない日が増えるのはゴメンだからな。
「先生、お世話になりました」
顔を赤らめたままのペトラが頭を下げるのを見て、チビも頭を下げて俺の頭に軽く額をぶつけた。
「大丈夫か」
「うん。おとうさんは大丈夫?」
「ああ」
この程度痛くねぇ。
「早くおうちに帰ろう?」
「そうだな」
その言葉に頷いたペトラを促し、リヴァイは家族四人で家路を辿る為に止めていた足を動かす。

ペトラと息子がいて更に娘が産まれた。これが幸せってヤツだなと、しみじみと感じる。
こうして大事な家族が傍にいてくれてる事は当然ではなく、とてつもなく尊い事だと知っているが、幸せに浸りきっている毎日がこれからも続くのは間違いない。
「退院の記念写真撮りましょう」
病院の前ではしゃぐペトラを見て、リヴァイはそう思った。

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