幸せ日和


「洗濯物を干したら遊べるから待っててね?」
俺は洗濯籠を持つペトラの足にしがみつくチビを捕まえて抱え上げた。大人より少し体温が高く軽い体の感触は心地好く、ずっと抱いていても苦にはならない。
「相手なら俺がしてやるからペトラの邪魔すんな」
「あう」
大きな目で俺を見上げるチビは、朝から元気が有り余っているらしい。さっきまでは床を這いまわってローテーブルの上に置いてあった新聞紙を破っていた。それを片付けている間にペトラに纏わりついているとは……
このまま家にいたら、次は何を仕出かすかわからねぇな。
「チビを連れて散歩してくる。何かあったら連絡しろ」
「あ、はい。いってらっしゃい」
玄関まで見送りに来たペトラが俺の頬とチビの額に唇を寄せ楽しそうに笑う。今日もその曇りのない笑顔が浮かぶ事に満足する。ペトラが俺の傍で幸せそうに笑っていてくれる事が、何より一番深く強い願いだからだ。

とりあえず近所を一周してから公園にでも行くかと歩いていると、チビの頭がゆらゆらと揺れる。眠いのか?
「チビ?」
「うにゅ……」
何度も瞬きと欠伸を繰り返して頼りなく揺れる体をしっかりと抱え直すと、チビは完全に寝る体勢になって目を閉じた。
「もう寝落ちすんのかお前」
家を出てから十分くらいしか経ってねぇが、体を冷やして体調を崩されても困るな。戻るか。

チビを起こさないように静かに家に上がると、ペトラは小さな声で歌を口ずさみながら食器を拭いていた。俺達に気づいてきょとんとした顔が無防備で、とても子供を産んだように見えない。それでも、チビを相手にする時の顔は紛れも無く母親としての愛情に満ちていて。
「おかえりなさい。もう戻ったんですね。何かありました?」
「いや……チビが寝ちまった」
「さっきまで元気だったのに。リヴァイさんの腕の中がとっても心地好いから寝ちゃったんですね」
くすくすと笑うペトラがベビーベッドの布団を捲ったので、小さな体をそっと横たえて静かに布団を被せる。何の悩みも無さそうな呑気な寝顔だな。

ペトラ以外は何も要らねえと思っていた俺の信念を、腹の中にいるうちからあっさりと覆したチビは、最近悪戯好きになってきた。
「チビが大人しいのは寝てる時だけだな。お前、いつも昼間は一人でチビの世話と家事で大変だろう」
「そんな事無いですよ。毎日楽しいです」
「無理すんなよ。掃除とか料理とか……手抜きしろ」
生まれた時よりも身長と重さを増し、やんちゃになったチビの成長は喜ばしく思うが、毎日その相手をしているペトラは大変な筈だ。仕事をしていて碌に子育ての手助けができない俺にはこの程度の事しか言ってやれないと自分に呆れていると、急にペトラが抱きついてくる。

「リヴァイさんは、私に甘すぎです」
「何だ突然」
「これ以上甘やかさないでください。そうじゃないと私、我儘な奥さんになっちゃいますよ?」
「なれるもんならなってみやがれ」
「本当になっちゃいますからね」
「構わねえ」
「困るのはリヴァイさんなんですよ」
「困らせてみろ」
「ふふっ」

身を寄せて互いの額や頬にキスをしてじゃれあっていると唐突な声が響く。
「あーうー」
「もう起きたのか」
ペトラを抱いたままでいると、ここから出せと必死に手を伸ばすチビが顔を歪めた。
「ふぇ……」
目に涙を溜めて今にも泣きそうになっている。
「おいこら待て。泣くな」
「びぇー」
「泣くなつったろ」
慌ててベビーベッドから抱きあげると、チビの奴涙を零しながら笑いやがる。
「嘘泣きか?コイツ」
「だぁっ」
「だぁじゃねえよ」
「あはっ」
「おい何がおかしいペトラ」
ペトラの笑顔は好ましいが、笑われるのは気に食わねぇ。
「赤ちゃんに振り回されてるリヴァイさん可愛いなって思って。子供に負けないように頑張ってくださいね、パパ」
「ううー」
「励ましてるつもりかそれで」
「あうあう」
「チビは会話に入ってくんな」
「あうー」
「だから少し黙ってろ」
「うきゃー」
「何だか本当に会話しているみたい。後でママとも遊んでね」
それはチビに向かって言った言葉だと分かっていたが、敢えて俺が返事してやる。
「ああ、たっぷり遊んでやる」
「え、リヴァイさんに言ったんじゃありません」
「あうあう」
「ママと遊ぶのは自分だってこの子も言ってます」
「勝手な翻訳すんな」
「ううぁー」
「チビ、もう一度寝ろ」
「うきゃー」
「……」
さっきまで寝ていたとは思えない程元気なチビに、ペトラを構うのはとりあえず諦めた。
我が家で一番長く生きていて人生経験が豊富なのは俺だが、結局こいつらには敵わない。
俺を振り回して惑わせるのは妻と子だけだ。その事実は悪くないどころか上々だ。


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