愛しさは募る 2


「ママ、お風呂出たー」
タオル一枚を頭に被ったままの子供がバスルームから飛び出し、ペトラを探してきょろきょろする。
「チビ、お前まだビショ濡れだろ」
タオルで濡れた髪を拭きながらドアから頭だけ覗かせたリヴァイは、小さな濡れた足跡が床に散らばっているのを見て小さく溜息を吐く。
床は後で拭く事にしたリヴァイは子供の前に腰を下ろし、昼間干されてふかふかのバスタオルで小さな身体を包み、滴がポタポタ零れる髪を丁寧に拭く。

「なんて格好してるんですか、リヴァイさん」
腰をバスタオルで覆い頭にはタオルを乗せたままのリヴァイは、自分の姿を見て呆れたような声のペトラに濡れた床を顎で示す。
「仕方ねぇだろ、チビが濡れたまま飛び出したんだ」
「風邪ひいちゃいますよ」
子供の世話を焼くリヴァイに手を伸ばし、ペトラは濡れた黒髪をタオルで拭い始める。
「俺の事よりチビの世話しろ。俺は床を拭く」
「今日はパパがいいー」
「あら」
ペトラは夫の首筋にしがみつく子供の姿にくすっと笑みを零す。
「お風呂の中が泡でもこもこになって楽しかった。ママも一緒に入ったら良かったのに」
「チビにしてやったみたいに、隅々まで磨き上げてやるぞ?」
「なっ」
絶句し固まるペトラの初々しい反応はリヴァイを愉快にさせる。
微かに揺れたリヴァイの肩に、またからかわれたと察したペトラは、先程まで優しく拭いていた手の動きを力を入れて再開する。嫌そうな顔で振り返られても無視し、ある程度髪が乾くまでガシガシと力を込めて拭きまくった。

濡れた床の始末をした後、パジャマに着替えた子供を連れてリヴァイは子供部屋に入る。
「パパ、寝る前に絵本読んで」
我ながら下手くそな読み聞かせだとの自覚があるのに、二人の子はリヴァイに本を読んでもらうのを好む。
一緒に聞いてたペトラが何時の間にか寝た事もあるくらい抑揚なく読みあげるだけのそれを、断られると微塵も思ってない顔で頼まれると受け入れるしかない。
「何の本が良い?」
ベッドの前で待っていると、子供は本棚を眺めどれにしようかなーと呟きながら選び出す。
「あ、これにする。まだパパに読んでもらったことのない新しい絵本で、巨人が飛び出てくるのー」
巨人の出てくる絵本とは、前世の記憶を有していたエレン・アルミン・ミカサの幼馴染三人組が、あの頃の仲間が他にもいるのか確かめる為に、アルミンが書いて出版した本――巨人に支配された人類が三重の壁の中で家畜のように暮らしていた残酷な世界の物語――の幼児向け版仕掛け絵本だった。
あんな悪趣味な話でも、世界観や設定とキャラがしっかりしていると人気になり、映像化やゲーム化もされた作品だ。
ちゃっかりと儲けやがって、あいつら。
それにしても、なんでこんな本がうちにあるんだ? あんなヤバイ奴らの出てくる絵本なんぞ、情操教育に悪いだろ。

嬉しそうに絵本を差し出され、表紙を見たリヴァイはげんなりする。
「チビ、お前は巨人が怖くないのか?」
子供向けに少しはましなイラストにされているが、それでも不気味に感じるだろう巨人の姿にリヴァイは不思議に思う。
「ママに初めて読んで貰った時、怖くて泣きそうになってたら、大丈夫ってほっぺにちゅーしてくれて、良い事教えてくれたよ」
「良い事?」
「うん。今は巨人はいないし、いてもじんるいさいきょうのへいしちょーがいるから、巨人なんて怖くないんだって」
そいつはたった一人心に決めた相手を守れなかった、クソ以下な奴だ。リヴァイは胸の内で呟いた。
「へいしちょーって、凄く強くて格好いいんだよ。ママが言ってた。パパは巨人怖い?」
「あんな奴ら、怖くねぇ」
今も昔も、巨人より何より恐ろしいのは喪失だ。
「あのね、ママはパパと一緒だったら何も怖くないんだって。パパってへいしちょーより強いの? ふぁ〜ねむい……」
リヴァイは小さな手で目を擦る子供をベッドに寝かせ、風呂上がりでぽかぽかと温かい体を覆うように首元まできっちりと布団を掛ける。
「チビ、この本は今度だ。眠いならもう寝ろ」
「ん。おやすみなさいのちゅーして」
「仕方ねぇな」
言葉と裏腹に内心満更でもないリヴァイは小さな頭に手を伸ばし、さらさらと指通りの良い髪を払い額に軽く唇をつけて部屋の照明を小さく調節する。
「ママはほっぺだけど、パパはおでこ……」
リヴァイは眠そうに呟きながら目を閉じた子供が健やかで規則的な寝息を零し、更に十分程度経過してから音を立てずに子供部屋を出た。

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