私と彼女の願いと覚悟



予定よりかなり早い時間に買い出しから戻ったペトラは、現在のリヴァイ班の本拠地である旧調査兵団本部に帰る途中で買った茶葉の味を確認する為にお湯を沸かした。
味見なんてしなくても美味しいに決まっているけど。一番飲んで欲しいのはやっぱり――
だからティーポットに茶葉とお湯を注ぎ入れ、砂時計とカップを用意してリヴァイの部屋へと向かった。

ノックをすると、名乗る前にリヴァイの手によって扉が開けられた。
「もう戻ったのか、ペトラ」
「はい。エルドはまだ街に残っていますけど…… お茶を淹れてきたのですが、飲まれますか?」
「ああ」
促されるまま部屋に入ったペトラが迷っているとリヴァペトがソファに座ったので、そこに丁寧にセッテイングをし終えるとカップを手にしたリヴァイに目線で隣に誘われた。
躊躇いながら少し隙間を開けてソファに腰を下ろしたペトラは、速まる鼓動を落ち着けるために口を動かす。
「さっき街でエルドの恋人に会ったんです。ちょっとの時間でも会いたいからって、エルドが手紙を出して待ち合わせしていたんですって」
リヴァイが特に何も言わない時は、今までの経験から話しを続けても良いと知っているペトラは口を動かす。
「折角だから二人っきりにしてあげようと思って、少しお話した後で買い物は私が一人でするからって伝えたら、逆に俺達で買うって言われたからその言葉に甘えて先に戻ってきました。ふふっ。エルドの恋人って綺麗に手入れされた長い髪の持ち主で、大人っぽくて凄く美人な方でした。仕草とかとても女らしいのに芯のしっかりした心の強い女性だと思いました」
「……あいつもそんな事を言ってたな」
リヴァイのその言葉にペトラは驚いた。そんな私的な会話をエルドとし交わしていたなんてと。

「最初、私とエルドの関係を勘違いして怒ってた時の彼女の顔、綺麗なだけに凄く怖かったんですよ」
冷静に詰問する相手にたじたじになっていたエルドの言動を思い出したペトラがくすりと笑みを浮かべると、リヴァイの眉間に皺が寄る。
「……誤解されるような事、してたのか」
「そんな事していないですよ。するわけないじゃないですか」
慌てて弁明してもリヴァイは不機嫌そうで、どうしようとペトラは焦りながら思った。あ、この感じはあの時の彼女の纏っていた空気と似ていると。

「ただ、買い物するリストの書いてある紙を二人で覗いてただけです。そこに丁度彼女が来ちゃって。膨れる彼女を宥めようとするエルドが珍しく焦っていたんです。いつも落ち着いてるエルドがあんなに慌てるなんて、本当に彼女の事が好きなんだなって」
好きな人の前でだけ現れるエルドの一面を思い出してペトラはつい笑ってしまう。
「で、勘違いは解けたのか」
「はい。私は別に好きな人がいるってエルドが勝手に話しちゃって……」
「ほう、ペトラよ。お前好きな奴がいるのか」
――そんなの誰よりも良く知っているのは兵長なのに。私が好きなのは、あなただけです。
心の中での呟いたのに、口に出していないのに兵長が頭を撫でてくれた。
優しい手付きに、こんな時間なのにペトラの女としての想いが目覚めてしまいそうになる。
「あのっ、エルドの帰りが遅くなっちゃっても大目に見てくださいね。罰則は、殆ど買い物をしていない私が引き受けますから」
心を静めて落ち着いた口調を保てた事にペトラはほっとした。
「あいつはいつも良くやっているからな、たまには目を瞑ってやる」
良かったと安堵していると、リヴァイの手がペトラの髪に触れる。

「長い髪に憧れるなら、お前も髪を伸ばせばいい」
「……立体機動の邪魔になります」
「括ればいいだろ。そうしてる奴もいる」
毛先を弄ぶ悪戯な指先に与えられる心地好さに浸りながらも、ペトラは残酷な世界に生きている現実を忘れる事ができない。
「そうですね……」
曖昧に答えて微笑むペトラは、髪が伸びる程の時間が自分に与えられているのか分からない。
無意味には死にたくないけれど、あなたの為ならこの命は惜しまない。
改めて覚悟を決めていると、ふっと、ペトラはあの時の彼女との会話を思い出した。


女二人で話したいからと、きっぱりとエルドにあっちに行ってと告げた彼女に誘われたベンチに座った途端に率直に聞かれた。
「エルドが言っていたあなたの好きな人って、調査兵団の方ですか?」
真っ直ぐで真剣な瞳に、ペトラは誠意を持って答えた。偽りは言いたくなかった。
「はい」
「壁外調査では、その方と共に行動するのですね。羨ましいです。私はただ祈って信じてエルドを待つことしかできない。壁外遠征からの帰還の鐘が鳴っても通りに出迎えれなくて、彼が訪ねてくれるのを待つだけなんです。いつもいつも…… 誰よりも信頼してるし、信じたいのに、凄く怖くて。だから、心を寄せる人と共に戦えるあなたがとても羨ましいです。なんて、壁外の恐怖を直に知らないからそんな呑気な事を思うんだって、腹立たしく思いますか?」
彼女の瞳には、心が締め付けられそうな程切ない光が浮かんでいて。
「いいえ、そんな事思いません。一緒に戦わなくとも、信じて待てるのも強さです。私はそう思います」
ペトラがそう言うと、透き通るような綺麗な笑顔を浮かべていた。

きっと彼女は行かないでなんて言わないし、泣いてエルドにすがったりしない。いってらっしゃいって伝えて、必ず帰ってきてって言葉を胸にしまって、おかえりなさいを言う日を待っている。
共に戦うって彼女は言ってくれたけど、私がいない方が兵長はきっと思うがまま戦える。
壁外では自分の命すら守る事が困難なのに、兵長は部下の命までその背に負った翼で守ろうとしてくれる。
普段の態度から誤解されやすいけど、リヴァイ兵長は強くて、優しくて、仲間想いで、それにそれに…… 溢れる想いに胸がぎゅっと締め付けられペトラは思わずそこに手を宛がった。
「ペトラ?」
「ちょっとだけ、抱きついてもいいですか?」
「……」
恐る恐る許可を求めたが、返事がない事に諦めようとした時ぐいっと抱き寄せられた。
「何不安そうな顔してやがる」
そう言われて自分の手で顔を探っても表情がよく分からないペトラは、リヴァイの指にむにっと両頬を摘ままれた。
「へいひょうにゃにするんれすか」
むっとしながら間抜けな声で抗議すると、少し骨ばった指が離された。
「しょげてるよりは、怒った顔の方がまだましだ。それにお前もよくやってる」
まだましだなんて……
そんな言い方しかできないけど、それが彼なりの心遣いだって知っているペトラの心はほわっと温かくなった。

リヴァイ班の一員として周囲からも認められるように、自主的に訓練に励み勇ましく振る舞い、ペトラを班の一員として選んだ彼の評判を下げないようにと頑張ってることを認めて貰えて。どうしてだろう。嬉しいのに泣きたくなってしまう。

「たまには、上司としての俺にも甘えろ」
「……じゃあ、もう少しだけここでのんびりさせてください」
そんな事で良いのかと視線が問うが、ペトラはにっこりとリヴァイに告げる。
「兵長の休憩は終わりですよ?」
くすくすと笑い、渋々リヴァイが立ち上がった事によって生まれたソファの空いた場所にころりと転がった。
少しでも長くその姿を目にしていたい。なのにただの男と女として過ごす時は、目を閉じていたり、温かく逞しい胸に顔を埋めている事が多くて。その顔を遠慮なくじっくりと見つめていたら、誘ってんのかって言われてしまうし。
だから、この距離で机に座っている兵長を誰に憚る事無く見つめる事ができる時間は私にとっては何よりも素敵なご褒美だ。
丁寧に淹れた紅茶を飲んでくれてくれるだけで充分だったのに、時折こんな風に不意に甘やかしてくれるから、私は駄目なただの女になってしまう。
彼に部下としても、女としても求められるのは嬉しいけど、それはペトラにとって身に余る程の贅沢で。
部下としてリヴァイの元でこれからも戦い続ける為には、女としての面は邪魔なだけなのに私情を捨てれる事ができない。
もっと心強くありたいのに。

リヴァイの存在は、ペトラにとっては大きすぎて。
恋を自覚する前からその背中を必死に追いかけ、精進してきた。
壁中ではその姿を目にするだけで人類に捧げた筈の心臓が締めつけられて脈が速まるのに、壁外では遠目に捉えるだけで安心して鼓動が静まって落ち着けて。
彼には前だけを向いて欲しいのに、時折振り返ってついて来いと視線で告げてくれる。そんな彼の傍に少しでも長くいられたら。
願うだけではどうにもならない望みを抱いて、これからもペトラはその背を必死に追い続けていくのだ。


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