調査兵団の兵士長と部下の日常



壁外調査が主な任務である調査兵団の兵士長であるリヴァイは、兵団本部の食堂で団長のエルヴィンと夕食をとっていた。
食事時は過ぎていてもまだ周囲には団員がそこそこいるが、団長と兵士長が二人揃っていると、人を勝手に人類最強と呼んで勝手なイメージを押しつける妄想野郎、その夢に幻滅するようなクソ共は傍には寄って来ずに静かに過ごせる。
夢見がちな馬鹿と豚共に英雄視されようがされまいが、リヴァイの言動に変わりはない。

食事を終えた後、誰が淹れたか知らんがクソ不味い茶を飲んでいると遠慮がちに声が掛かる。
「リヴァイ兵長、肩章のボタンの糸が緩んでます。私で良ければ、直しますが…」
声の主である部下のペトラへと視線を向けると、手に携帯用裁縫道具を持っている。
団服の肩を見れば、確かにペトラの発言通りにボタンが緩んでいるようだ。
「ああ、頼む」
上着を脱ぎ手渡すと、エルヴィンが食器を片付けて席を立ち、開いた椅子に座るようにペトラを促した。
「ああ、いいよ。片付けくらいするさ。それよりも、リヴァイの面倒を頼む」
「それじゃあ……隣、失礼します」
エルヴィンの言い様には納得出来ねぇが黙っていると、ペトラは静かな所作で椅子に腰を下ろした。するとペトラから漂う匂いが鼻に届く。こいつはいつもこんな匂いを振り撒いていやがるが、香水でもつけてんのか? 香水にしては匂いが薄いがまあどうでもいい。
「団長とのお話は、もういいんですか?」
「別に重要な話はしてねぇ」
「そうですか」
納得したように軽く頷いたペトラは、服を手に取り作業し始めた。
集中を乱すのも迷惑だろうと、真剣な顔付きで器用に針を動かしているペトラを無言のまま眺める。
「あの、緊張して指を刺しそうになるので、あまり見ないで欲しいです」
「ん?」
微かに頬を染めながら頼まれ、改めてペトラを凝視していた事に気づく。
そして今までの反動のように顔を背け頬杖をついてあらぬ方を見遣っていると落ち着かず、予備のある上着はどうでもいいと自室へ戻ろうと立ちあがった時に声が掛かる。
「出来ました」
上着を受け取り袖を通すと、ペトラが襟に手を添えて形を整える。
それを自然に受け入れる自分に違和感を感じないまま、すっと一歩身を引くペトラに礼を言う。
「助かった」
短い一言に、ペトラは驚いたように目を見開いてからぱっと笑顔を浮かべた。
「この程度の事ならいつでも命じてください」
「機会があればな」
「はいっ」
「じゃあな」
食堂を出る前にまだペトラがこちらを見ているような気がして、感謝の意を再度現す為に軽く手をひらひらと振る。
その時、袖の生地からペトラが傍にいる時のような匂いがした。
ほんの短時間の間に、服にペトラの使っている洗剤だか香料が移ったのだろうか。
人工的な香りは苦手だが、この匂いは悪くない。リヴァイはそう思いながら足を進めた。
 



ペトラが書類の束を抱え団長室へ向かう階段を昇っていると、後ろからリヴァイの声が掛かった。
「ペトラ、そいつを持って何処へ行く」
「団長の部屋です」
「貸せ、半分持ってやる」
「駄目です。兵長にそんな雑用させられませんっ」
「どうせ同じ場所へ行くんだ。ついでだ」
リヴァイはそう言って強引にペトラの腕から書類の殆どを取り上げて先へ進む。慌てて追いかけても、書類を返してくれる気はないらしい。
諦めたペトラは、自由の翼を背負ったリヴァイの後ろ姿に向かって小さく呟く。
「ありがとうございます」
「礼を言われる程の事はしてねぇ」
一見粗野な印象を与えてるけれども、やっぱり兵長は優しい人だな。知れば知る程惹かれてしまう。
相手にとって迷惑になるだろう感情は抑えるつもりでも、ふとした時に箍が緩みそうになる。
そんな自分を叱咤し、二人は只の上司と部下の関係だと改めて心に言い聞かせているうちに団長室へと到着した。
「ペトラです。団長、書類をお持ちしました」
ノックすれば、入室の許可が出る。ドアを開け揃って部屋へ入ればエルヴィンは机から顔を上げてペトラとリヴァイの顔を交互に見た。
「ん? リヴァイも一緒か。来るのが早いな」
「ついでだからって、兵長が手伝って下さったんです。ね、兵長」
「ん、ああ」
部屋の奥まで入って団長の机の空いた場所へ書類を置くと、リヴァイはその上に残りの書類をきっちりと重ねた。意外と丁寧な所を見つける度にリヴァイの色々な面を知れてペトラの胸はときめく。思わず弧を描きそうになる口元を引き締め、背筋を伸ばして正面からエルヴィンに向き合う。
「エルヴィン団長、他に何か用事はありますか?」
「時間があればだが、お茶を淹れてくれるか?」
「はい。あの、兵長も飲まれますよね?」
確認するように問うと、リヴァイが軽く頷いて壁際のソファにどかっと座った。

団長室と繋がった給湯室で湯を沸かしている間にペトラは手早くティーセットを用意する。
リヴァイにお茶を出せる事が嬉しくてつい顔が緩んでいると、脳裏に描いていた本人が急に現れて声を掛けられた。
「おい、お前の分も用意しろだと」
給仕した後はすぐに出ていくつもりだったペトラは戸惑ったが、ティーカップをもう一客用意して準備を整え、丁寧に淹れた紅茶を注いだ。

まずはリヴァイの向かいのソファに移動していたエルヴィンの前にカップを置き、次にリヴァイの前に置く。自分の分は何処へ置けば良いか悩んでいると、リヴァイがさっさとしろと言いながら躊躇うことなく彼の隣の位置へとカップを置く。
じろりと見上げるリヴァイの視線に気押され、おずおずとソファに腰を下ろす。
ペトラが座るとすぐにエルヴィンがカップを手に取り一口飲む。
「ああ、ペトラの淹れるお茶は美味しいな」
「ありがとうございます」
エルヴィンは褒めてくれたが、リヴァイは何も言わずに飲んでいる。
普段味については何も言ってくれないが、この流れなら聞けると勇気を出して隣のリヴァイに視線を向け口を開く。
「兵長、味どうですか?」
「ああ、悪くない」
こちらに目も向けずに素っ気無い口調で返答される。それを見てエルヴィンが苦笑する。
「リヴァイの悪くないは、良いってことだ」
「はい、知っています」
エルヴィンのフォローに、ついくすっと笑ってしまうと隣からジロリと睨まれたが全然怖くない。逆に楽しくなる。
「美味しいと思って貰えて、嬉しいです」
笑いながら伝えると、リヴァイがチッと舌打ちする。
「おまえの茶が美味いせいで、下手くそな奴が淹れた不味い茶を飲むのが苦痛になった。どうしてくれる」
「じゃあ、これからも兵長の為に美味しいお茶を淹れれるように頑張ります」
「ああ」
直ぐに一杯飲み干したリヴァイのカップにもう一度紅茶を注ぎ、ペトラもカップ一杯分の紅茶を飲む時間をソファに座って過ごした。

「すみませんでした、長居してしまって」
洗い物を済ませてからエルヴィンに退室の挨拶をする。
「引きとめたのはこちらだ、悪かったね」
「いいえ。団長室でお茶を飲むなんて経験は、一兵士としてはなかなか出来ない経験ですから光栄です。それでは失礼します」
廊下からドアを閉じながらソファに座ったままのリヴァイに顔を向けると、目が合った。
咄嗟に瞬きをして次に目を開けると、もう視線は逸れていた。
完全にドアが閉まった後、ペトラは両拳をぎゅっと握った。リヴァイと思いがけず一緒にティータイムを過ごせ、その上に淹れた紅茶を美味いと言われて幸せ過ぎて今日はこれからずっとふわふわとしたまま過ごしてしまいそうだ。
「ふう」
ペトラは軽く息を出し、浮かれて緩んでいるだろう顔を引き締めた。
自分はこれからも、人類に心臓を捧げた調査兵団の一員として生きていくのだから。

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