調査兵団の兵士長と部下の過去


今年も訓練兵団を卒業したてのガキ共が入団してきた。
入団式の後、団員がざわついていたようだが、興味無くさっさとその場を後にしたので何を話していたのかは知らなかった。

入団式の数日後、エルヴィンに呼び出された。
「新兵の配属班についてだが」
そう言ったきり、言葉を濁す。余程言いにくい事なのか知らんが、さっさと言ってくれ。
「例の噂の子なんだが、リヴァイの班に入れようと思う」
「噂? 何だそれは」
「知らないのか? 兵士には似つかわしくない可愛い子が入団してきたと、新兵と独り身の団員達が浮ついて少々困っていてな。だが彼らも、お前の部下なら下手に手を出して来ないだろう」
「チッ、ガキのお守りか、面倒だな。ナナバ辺りにでも任せた方が良いんじゃねえか。新兵は最初の壁外調査で半分は死ぬ。そいつは俺の班に入れる必要があんのか。……だが、お前の判断に従おう」
「悪いな」
「新兵だからって手加減しねぇぞ」
「ああ、彼女の訓練兵時代の成績は良かったみたいだな」
そんな評価、実戦ではクソの足しにもならねぇのはエルヴィンも良く知っているだろう。

「この度、リヴァイ兵士長の班に所属する事になった新兵のペトラ・ラルです。ご指導、よろしくお願いします」
噂の新兵に初めて合ったのは、所属班の発表の後だった。新兵で俺の班に配属されたのは、一人だけだった。
間近で見れば、確かにペトラは男が好みそうな容姿をしている。小振りな顔は整っていて澄んだ大きな瞳が印象的で、後頭部で一つに結ばれている長いは金に近い色で艶めき、それを自分の手で解き触れたいと願う男は多そうだ。だが、まだガキだ。ガキに浮かれる程餓えてんのか、調査兵団の男共は。
「まあ、せいぜい頑張って生き残れ」
短い言葉を告げると、生真面目にはいと返事をする。素直な方が躾ける手間がかからんな。その点は合格だ。

新兵を加えた壁外調査の日まで、リヴァイはペトラと挨拶程度の会話しかしなかった。
壁外は相変わらずあっけなく命が散る、闘うことでしか生き延びられない残酷な世界だ。マリア奪還の布石である新たな補給拠点の貯蔵プラントをどうにか設置し、撤退命令の信号が出た時、動いている団員の数は減っていた。相変わらずの生存率の中、ペトラは何の役にも立たず、逆に俺が助けるしかない状況に追い込まれていたが、それでも生きていた。
腰が抜けたように座り込んでいるペトラの結わっていた筈の髪は解けて乱れ、目からは次々と涙が溢れて頬を伝っている。
「何だベソ掻いてへたり込んで。漏らしでもしたか」
何気なく言った言葉だが図星だったようで、ペトラは俯いた。まずったか?
「顔を拭いて、前を見ろ」
ペトラの前に片膝を突き、恐怖からか震えている手に俺のハンカチを握らせた。
訓練兵の時に模擬訓練は何度も経験しているだろうが、訓練と実戦の間には天と地程の差がある。絶望ばかりの壁外でこんな頭に殻の付いたひよっこが生き延びる為には、実力と努力だけでなく、正しい選択と運が必要だ。
初陣では、泣いたり漏らしらたり胃の中身を戻す奴など珍しくもない。新兵にとっての一番重要な事は生き残る事だ、粗相など気にするなと告げる為に口を開きかけた時、ペトラが俯いていた顔を上げ、握り締めているハンカチでなく、袖で涙を拭った。
虚勢混じりかもしれんが、少しは立ち直ったのか?
外見に似合わず根性があるな、調査兵団を志望するだけの事はあるかと思っていると、ペトラは長い髪を掴み超硬質スチールの刃を押し当て躊躇いも無くざっくりと切り取った。少し不揃いに切り取られた髪が、手の平からさらさらと落ちていくのを黙って見ていると、肩につかない程度まで髪が短くなったペトラが立ちあがって俺を見据える。その目には強い光が宿っていて、土のついた薄汚れた顔をしているくせに、リヴァイが知らず目を見張る程に綺麗だった。
「もう、下を向いたりしません」
少し声は擦れているが、震える事無く言い切った。ペトラは只の可愛いだけの女じゃなさそうだな。
――女? こいつはガキだろう。ふいっと目を逸らし、空を見上げると鳥が翼を広げて飛んでいた。
「帰還するぞ」
「はい」
他の部下と共に、陣形を作る為に馬へと向かうペトラの立体機動装置を操る動作には、ブレがない。ひよっこには変わり無いが、頭の殻は取れたようだ。

『生きて帰って初めて一人前』ってのが調査兵団の通説だが、今回の壁外調査の新兵の帰還率はいつも通りの五割だった。
「リヴァイ兵長、助けてくださってありがとうございました」
帰還後のざわつく本部の広間で、風呂に入って小ざっぱりした状態になったペトラはリヴァイに向かって頭を下げたまま微動だにしない。不揃いだった髪は、誰かに整えて貰ったのか切り揃えられている。手入れの行き届いた綺麗な髪を、あっさりと短くしたのはきっと何かの覚悟と意味があるのだろう。
労わるように頭に手をやると、ペトラは弾かれたように顔を上げた。大きな目が更に丸くなっている。
「壁外は、新兵には堪える状況だったろ。ゆっくり休んどけ」
「兵長、今日は優しいですね」
「バカ言え、俺は元々結構優しい……」
ぼそりと返事すると、ペトラがくすっと笑った。こいつの笑顔は初めて見たが、笑った方がずっと良い。
「聞いても良いか。何故髪を切った?」
「……反省と自戒を込めて。でも、髪を切ったくらいじゃ駄目ですよね。今日の壁外調査から戻れた同期の皆も、改めて覚悟を決めたと思います」
ペトラはそう言うが、どうだろうか。生き残った新兵の殆どは、部屋に引っ込んでいるようだ。
そんな中、周囲を見回しながら歩く奴が目に留まった。知らん顔だから、新兵か。
必死な形相をしてやがるそいつが、何かを認めて急に安堵したように全身から力を抜きながら近づいて来る。そいつの視線の先には、ペトラがいた。そうか、惚れていやがるのか。
「お、お、おい、その髪、どうしたんだよ。な、何勝手に切ってんだよ」
そいつはペトラの髪が短くなっている事にえらく衝撃を受けたらしい。それにしても落ち着きの無さそうな野郎だな。
「私の髪なんだから、どうしようがオルオには関係ないでしょ」
ツン、と顔を逸らして馴染みらしき奴と話すペトラは、そいつの想いに気づいていないようだ。
「……新兵は、さっさとクソして休め。報告書の提出期限を忘れんな」
言うだけ言って、その場を後にするとペトラに呼ばれたが、振り返らずに足を進める。ガキはガキ同士勝手にじゃれあっていろ。俺は早く風呂に入りてぇんだ。
「リヴァイ兵長」
小走りで後を追って来たペトラが弾んだ息で話しかけてくる。
「兵長のハンカチ、綺麗に洗ってからお返ししますね」
「……いらん。お前が持っとけ」
「あ、はい……」
何の特色も無い只の白いハンカチは、何枚もあるから一枚くらい無くなっても支障はない。
ペトラがそのハンカチを壁外調査の度に懐に忍ばせていたのを俺が知ったのは、かなり後になっての事だった。

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