調査兵団の兵士長と部下の遠出


無駄に良い天気だな。
リヴァイは晴れ渡った空を仰いで軽く目を細めた。

予定より早く次回の壁外遠征についての会議が終わり、空き時間が出来たので兵舎裏に足を向けた。
ブラシで手入れを終えた後に放牧場に放していた馬を軽く走らせるつもりだったが、先客に気づき厩舎の庇の陰で歩みを止めた。

「私の馬にあげた残りの半分だけど、リンゴ食べる?」
そう言いながら柵の間から手を伸ばしリヴァイの馬に手を差し出すペトラ相手に、自分以外は殆どの相手を無視する筈の馬がゆっくりと近寄る。何度かリンゴの匂いを嗅ぎ、半分に割られた果実に被りつく。数回咀嚼しリンゴを食べ尽くした馬はペトラの手をペロペロとしつこく舐めてやがる。
「美味しかったの? なら良かった」
弾むような口調で話しかけるペトラの頭に、馬は鼻頭を突っ込み髪を乱しながら匂いを嗅ぎまくっている。なんだアイツ、女好きだったのか?
「ふふっ、くすぐったい。ずっとここにいたなら喉乾いてない? お水汲んでくるから、待ってて」
転がっていた桶を拾ったペトラが井戸のある方へと向かったのを確認した後、柵のある場所まで行く。

「デレデレベタベタしやがって。てめぇ、削いで馬刺しにすんぞ」
リヴァイの言葉に不満そうに頭を揺らす馬を柵から出し、置いていた馬具を装着していると水の入った桶を持ったペトラが戻って来た。
「兵長、この子にリンゴあげちゃいました。勝手なことしてごめんなさい」
「別に構わん」
頭を下げるペトラの手から桶を取り、馬の前に置くと口を突っ込み水を飲む。
「ちょっとだけこの子触っても良いですか? 綺麗な毛並みしてるな、っていつも思ってたんです」
期待に満ちた目を向けられたリヴァイが手綱を短く持つと、馬は自ら頭を下げてペトラに頭を擦りつける。
「わっ。触っても良い……の?」
そっと手を伸ばしたペトラが鬣を梳くように何度も撫で付けていると、馬は気持ち良さそうに目を細めた。
「この子って兵長以外には慣れないって聞いてたけど、噂と違いますね」
ペトラが手を離すと、もっと撫でろと言わんばかりに馬がペトラに擦り寄る。
「馬刺し……」
「え、何ですか?」
不思議そうに再度馬を撫でながら視線を寄越すペトラに応えず、鐙に足を掛けて鞍に跨り手綱を引くと馬が不満げに鼻を鳴らす。余程ペトラが気に入ったらしい。歩かせようとしても、足踏みをしてペトラの傍から動こうとしない。

「少し走らせるつもりだが、お前も乗るか?」
手を差し出せば、ペトラがぽかんとした顔で見上げてくる。余程意外な誘いだったのか。
「ペトラ、手を出せ」
命じると、反射的に手を出したので掴んで馬上へと引っ張り上げ、俺の前に乗せると狼狽する。
「えっ。こんなとこ?」
「他にどこに座るつもりだ。落ちんぞ」
手綱を持ち直し腕を伸ばすと、ペトラが上体を倒して馬の首筋に手で触れた。
「二人も乗って大丈夫?」
ちっ、俺を無視して馬に話しかけるな。
「平気だろ」
「兵長は馬の気持ちが分かるんですか?」
「んな訳ねぇ」
「そうですよね。えへへ」
恥ずかしそうに照れる顔から視線を外し、手綱を軽く引いて馬を歩かせると、横座りで不安定な姿勢のペトラが慌てて胸に縋りついてきた。兵士として鍛えてる割に、体は柔らけぇな。それにいつものように、甘いくせにすっきりと胸に沁み込む香りがする。
「わっ、すみませ……」
「舌噛むぞ。黙っとけ」
何の指示も出していないのに、馬はかなりの速度で駆け出した。鐙に足を掛けてないペトラが腕に力を込めるので更に密着してさらさらとした髪が風で靡き頬をくすぐる。
「速い、です」
「俺が指示した訳じゃねぇ。コイツが勝手に速度上げてんだ。最近走らせてなかったからな、飛ばしたくなったんだろ。……怖いのか?」
不安定な体勢で、自分が操っていない疾走する馬に乗っているのが怖いのかと思って問えば、ペトラは黙って頭を振った。

何の会話もせず馬の好きなように走らせていると、ペトラが俺の袖を引っ張り注意を引く。その指が示す調査兵団本部からは信号弾が上がっていた。
あれは……全兵団幹部招集の信号だ。続け様に、場所を示す信号が上がった。
場所は、ローゼの憲兵団本部か。立体機動装置は装着している。手綱を操り、進行方向を変える。
「え、兵、ちょ」
「このまま行く。しゃべんな」
今まで素直に俺に体を預けていたペトラが身動ぎして危ねぇから、手綱を片手で持ち空いた方の腕で細い腰を抱き込む。途端にペトラが動きをピタリと止めた。
それでも何時動くか分からんから腕はそのままに、憲兵団本部まで速度を保ったまま馬を走らせた。

本部の裏口から駆け込み、厩舎前で馬から降りるとペトラも軽やかな動きで地上に降り立つ。
「ペトラ、コイツを頼む」
ペトラに手綱を任せ建物内の会議室へと入ったが、どの兵団の奴らもまだ来ていない。
どいつもトロ臭い奴ばかりで呆れるしかねぇ。
今回の招集は、こののんびりとした空気からして、いつものように緊急時の対応訓練を兼ねた会議か。
俺の次に来たのは、ミケだった。入室するなり鼻を鳴らしながら空気を嗅いでいやがる。
「……リヴァイからペトラの匂いがぷんぷんする。抱いたのか」
ミケにはペトラの匂いが嗅ぎ取れるのか。相変わらずすげぇ嗅覚だな。だが大きな勘違いだ。
「何寝惚けた事言ってやがる。まだしてねえよ」
「まだって事は、手を出す気はあるのか」
「ちげぇ、言葉のアヤだ。間違ってもハンジの前で言うなよ」
「言わんさ。……ペトラは素直で可愛い良い子だ。遊びで手を出すような事はするなよ」
そんな事はミケに釘を刺されずとも重々承知だ。

全兵団幹部と総統が集まり始まった話の内容は、超硬質スチールの刃についての件だった。
工業都市の職人達が、超硬質スチールのレアメタルの配合を微妙に変えたサンプルを作り、その刃の強度を調べる為に、次の壁外調査で使ってみろと言ってきているらしい。
いきなり実戦で使うのかとのエルヴィンの疑問には、まだ量産はしてないらしいとの返答が返る。
少し考えていたが、エルヴィンは要望を受け入れることにし、直ぐに場は解散となった。
俺ら調査兵団の団員は、団長であるエルヴィンの判断に従うだけだ。
こんなのは俺らまで集める程の用件じゃないが、憲兵団がうるせぇから全兵団の幹部を招集したんだろう、クソが。

解散後、控室と厩舎の中を覗いたがペトラも馬もいなかった。勝手な事をするような奴じゃないんだがと思いながら厩舎の裏を覗くと、ペトラは雑草の生えた空き地の木陰で伏せた馬の背に体を預け寝ていた。
馬と添い寝なんぞして、うっかり巨体につぶされたらどうするつもりなんだ。
それにしても気持ち良さそうに寝てやがる。
「……起きねえと、置いてくぞ」
とりあえずそう言ったが、馬が動いたらペトラも起きる。
肩からマントを外し、ペトラに掛けてやろうとした時、その手に青色の花を持っている事に気づいた。このまま潰すと後で何か言われそうで、ペトラの手から花を取り上げ、馬体と鞍の間に茎を挿してからマントで上半身を覆ってやった。

ペトラの隣に腰を下ろし、呑気な寝顔を眺めているとこっちまで眠気が湧いてきやがる。少し休むだけのつもりで馬に凭れて目を閉じたが、何時の間にか眠っていたらしい。
「な、な、どうして」
うるせぇ声で目を開ければ、ペトラが俺のマントを握りしめて口を半開きにした間抜けな顔をしていた。
「何で兵長も寝てたんですかっ」
先に寝ていた奴に咎められる謂われは無い筈だが。
「お前があまりに気持ち良さそうに寝てたんでな、釣られた」
「そん、なに?」
むう、と考え込む姿は年より幼く見える。まだまだガキだな。
「雑草まみれな場所で寝転がって、汚なくなっちまった」
「ここはお花畑ですってば。雑草じゃなくって、それぞれに名前があります。例えばこれは……あれ?」
周囲をきょろきょろと見まわすペトラに、馬の背から花を取って見せる。
「探していたのはこれか?」
「あ、はい。これはキキョウです」
嬉しそうに受け取りながらペトラが花の名を教えてくる。
「別に興味ねぇ」
「ですよね」
その言葉に、ペトラは少し寂しそうに目を伏せた。今の発言のどこがそんな表情をさせたのか分からんが、胸の奥が僅かな痛みを訴えた。これは罪悪感か。
「花が好きなのか」
「まあ、私も一応は女ですから」
表情を変え、今度は悪戯っぽく笑うペトラは、リヴァイのマントについた草を丁寧に取り除く。
「掛けてくれてたんですよね。ありがとうございました」
綺麗にされたマントを受け取り羽織ると、馬が立ちあがってまたペトラに頭を擦り寄せる。コイツは誰が主人か分かってんのか? この駄馬め。
「ペトラよ、帰りはどうするつもりだ」
「帰り……」
そこまで考えてなかったようで、ペトラは途方に暮れたような顔をする。
「歩くんだろ」
「えっ」
今日のペトラは俺の言葉にころころ表情を変えて面白い。
「くっ、冗談だ」
「兵長が言うと冗談に聞こえません」
顔を赤くして抗議されても、愉快になるだけだ。からかいがいがあるな。

「ほら、乗れ」
跨いだ馬の上から手を差し出すと、ペトラは今度は素直に手を伸ばした。
二人乗りで、早駆け程度の速度で走っていると、リズムに慣れたのかペトラが口を開く。
「団長と分隊長達はもう帰られました?」
「さぁな。知らん。俺らが寝てるうちに帰ったのかもな。お前は今日の呼び出しの用件に、興味無ぇのか」
「話す必要があれば、そのうち兵長と団長は教えてくださるでしょう?」
「……そうだな」
ペトラは実力もあり有能なだけでなく、分も弁えている。淹れた茶は美味いし、部下として手放し難い人材だ。
女である事を武器に伸し上がろうとする憲兵団のクソ女狐共と同じ組織で学んだと思えない。あいつらは俺らにも色目を使ってきやがるからな。あんな化粧くせぇ奴らの淹れた不味そうな茶なんぞ飲めるか。気持ち悪ぃ。
戻ったら、ペトラに茶を頼まねぇとな。
黙ったまま馬を走らせているうちにペトラの頭がゆらゆらと揺れて、突然腕に重みが増した。覗き込めば、ペトラは目を閉じて寝ていた。
こんな状況で良く寝れるもんだ。さっきも寝てたし疲れが溜まってるのか。
仕方ねぇ、戻るまで寝させとくか。
リヴァイは力を失って頼りなく揺れる温かい体に腕を回し、しっかりと抱きとめて馬の速度を落とした。

「オイ、着いたぞ。起きろ」
「ん……」
軽く目元を擦りながら瞼を開けたペトラはリヴァイと目が合うなり背を反らせた。
「落ちるだろうが。暴れんな」
両腕に力を込めると、ペトラは澄んだ瞳で俺を見上げてきた。引き込まれそうなくらい綺麗な色だと思った。
「へい、ちょう?」
戸惑ったような声が耳に届き、先程浮かんだ思考を消すようにペトラの額を指で弾く。
「たっ」
「ぐーすか寝るばっかしやがって、体調管理はしっかりしとけ」
「うっ。兵長って温かいなって思ってたら、何時の間にか寝てました」
「良い夢でも見てたのか? 時折ニヤついて、涎垂らしそうな顔してたぞ」
「やだっ。そんなの忘れてください。もうっ」
剥れながらするりと腕から抜け出したペトラは身軽な動作で地面に降りて俺を見上げる。
「この子、厩舎に連れて行けば良いんですよね。世話もちゃんとするから、兵長はゆっくり休んでくださいね」
「俺がやるからいい」
「嫌です。私が寝てたから戻るの遅くなってしまったし、私がやります」
ペトラの気が強い面が出たな。どう言えば納得する。
「俺は茶が飲みたい」
「?」
ペトラが不思議そうに俺を見る。察しが悪いな。
「お前は、俺がコイツの世話を終えるまでに、兵団の俺の部屋に茶を用意しておけ」
「……」
「返事はどうした」
「はいっ、了解です」
咄嗟に姿勢を正し、返事をしたペトラは手綱の編み目に差してた花を取った。馬はまたペトラに顔を近づけてやがる。
「あーっ、食べちゃった……」
何が起きたのか不審に感じたリヴァイが下馬すると、端から茎が出たまま口を動かす馬の傍でペトラが茫然としていた。
「せっかく、兵長、記念……」
「あ? 俺が何だ」
「何でも、ないです……」
ペトラの奴、言葉と表情が全然一致してねぇ。このクソ駄馬が。
「何落ち込んでやがる。悪いのは馬で俺じゃねぇが、花なんぞ今度やるからしゃんとしろ」
「えっ、本当ですか?」
何だ? ペトラの奴食い付いてきやがった。
「あ、でも」
「ん?」
「お花じゃなくて、兵長曰くの、その辺りに生えてる雑草一本で良いですから」
何がおかしいのかペトラはくすくすと笑っている。見損ないやがって。
「うるせぇ。期待して待ってろ」
そう言い捨てて馬を連れて厩舎に入ったが、花の事はさっぱり分からねぇ、誰に聞けばいいんだ。
「てめぇの所為だぞ」
鋭い目付きで睨んでも、当たり前の事だが馬は無反応だった。

馬から馬具を外し、ブラシで軽く毛並みを整えてから部屋へ戻っても、まだ茶の用意はされていなかった。ペトラが俺の命じた事に背いた事は一度も無いが、どうしたことだ。
眉を顰めていると、ノックの音がしたのでドアを開けたが、ペトラの手には何も乗っていない。
「兵長、団長室でこれから会議です」
「何?」
「さっき、給湯室に向かおうとしてたら、ミケ分隊長から兵長にお伝えするように言われました」
「分かった」
ペトラの茶はお預けか。
「ミケは他に何か言ってたか?」
「兵長と一緒だったか聞かれたくらいです」
そんな事は確認しなくとも、分かっているだろうに。なんだアイツ。

団長室は同じ階にあるからすぐそこだ。多分俺が最後だろうと歩む速度を速めていると、足音が後に続く。
「ペトラよ、何故お前も来る」
「分隊長にお茶の用意を頼まれました。だから、もうお部屋にはお茶を持っていかなくて良いですか?」
「……いる」
「え? はい、分かりました。後で適当な時間にお持ちします」

ペトラと別れ、団長室に入ると雑談していた面子の視線が集まる。やはり俺が一番最後か。
「さて、揃ったな」
エルヴィンが全員の顔をざっと見まわし、それぞれの座る定位置の前に資料を配る。もう今日のあの件についての計画が出来るとは、仕事が速いな。
「お茶が来るまで、各自資料に目を通しておいてくれ」
ざっと目を通していると、ノックの音が響く。リヴァイが立ちあがってドアを開けると、予想通りペトラがいた。
「ありがとうございます」
軽く頭を下げたペトラを部屋へ招き入れた後、ドアを閉めて自分の席へと戻った。
全員に茶が配られる前に、俺はカップを掴んで一口飲む。ペトラの茶は、やはり美味い。
ドアの前で軽く一礼したペトラが退室した後、エルヴィンの合図で巨人殲滅へ向ける勝利へと一歩進む為の会議が始まった。

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